Popsにおける完コピは絶対的正義なのか?

はじめに

クラシック音楽は楽譜に忠実に弾くことが要求される。

 

もっと言うと楽譜に記載されていることだけではなく、

その作曲者はどんな性格で、その曲の作曲時に誰と交流があり、

その時の世界情勢はどうだったか等を考慮し、

そうした複数の要素を落とし込み、

"おそらく本人はこのように弾いただろう"

とリスペクトをもって弾かれるべきと考えられている。

 

NHK交響楽団で長いことコンサートマスターを務めた

篠崎史紀 通称"マロ" がこのようなことを述べている。

 

以下"マロ"のお言葉

クラシック音楽には格式がある。それはなぜか、歴史があるからね。

歴史は様式や型を生み出し、伝統と格式を生む。

我々のやっているクラシック音楽は伝承と再生の音楽。

だから作曲家の意図や想いを譜面や歴史から正確に読み取り

それを忠実に再現し、後世に伝えていく必要がある。

好きに弾きたければPopsをやればいい、ヒットして消えていく音楽。」

(すごい言い方だ、私は好きだが。笑)

 

篠崎史紀の動画 1分37秒から

youtu.be

 

また、

漫画「のだめカンタービレ」でも、ヒロインの野田恵が譜面通りではなく

好き勝手に弾くシーンで主人公や先生に

しっかりと譜面を見て!

好き勝手弾かないように!

作曲家に敬意をもって!

などと、叱られるシーンが度々出てくる。

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つまりクラシック曲は完コピが求められるようだ。

 

しかし不思議だ。

バッハも、

モーツァルトも、ベートーベンも

ショパンもリストも

音源が残っていない。

お手本が無いのだ。

100%の物が無い。

確かに世界中で今も様々な作曲家や、その曲が研究されているが

100%ではない、どこまで行っても99%にしかならない。

だって本人の演奏が残ってないのだから。

 

それでも完コピを求めることにロマンがあるのだ。

 

Popsではどうか

POPSでは完コピが正義とされている節がある。

特に顕著なのが、

布袋寅泰のBadFeeling

Youtubeでどれだけ上手に演奏している人でもコメント欄が荒れている

「なんかちょっと違う」とか

「へたくそ」とか。

 

他にはメタリカの曲全般に見られるのが、

「本人が全てダウンで弾くのだから、

全てダウンピッキングで弾くべき!」と主張する人たちだ。

 

私は正直どうでもいいと思う。

本人が気持ちよく弾けていればそれでいいし、

完コピじゃないと嫌なら、その演奏を聴かなければいい。

 

だって完コピを求めるなら音源があるのだから、

それを聴いていればいいと思う。

 

Youtubeで海外のギタリストの演奏動画を見ていると

原曲通りではないが楽しそうに自信をもって弾いているし、

コメントも

素晴らしい!

すごい!

とか優しい言葉にあふれている。

 

以下 2025/1/20 追記

例外もある。

有名ゲームソフト"ドラゴンクエスト"の作曲家すぎやまこういち氏は

公式サイトで下記のような言葉を残している。

 

"一方、大変残念なことに、利用者の方が一方的にアレンジをして

公表されている事例が後を絶ちません。

そういう音楽を聴くときほど、音楽家にとって寂しいことはありません。

著作権法上も、こうした編曲行為は、

事前に著作者の了承を得て行うことがルールであります。"

 

このように、Popsにおいても作曲家の意思を尊重して

譜面通り(完コピ)に弾くべき場合もある。

 

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すぎやまこういち氏の公式サイトより

 

まとめ

"Popsにおける完コピは絶対的正義ではない。"と私は考える。

 

クラシックは完コピであるべきだ。

(作曲者は音源を残せなかったわけだし、間違った解釈で伝わり

それが正しいものとして後世に伝わるのは嫌な気分だろう。)

 

しかしPopsは完コピでなくても良いと思う。

だって音源があるのだから。

完成形が形として存在するのだから。

(ただし、演奏者自身が技術の向上や達成感を求めて完コピを目指すのは

素晴らしいことだと思う。)

 

つまり外野(聞き手)が演奏者に向かって完コピじゃないからと

難癖をつける権利はないのである。

 

皆さんはいかがだろうか。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。